樋浦さんのこと
早すぎた訃報を聞いてからしばらく経つ。いままで何も書けなかった。どう書
いたらいいか分からなかった。
最初にメールをいただいたのは1997年のことだった。小林龍生さんの紹介によっ
てお逢いした後のことだったように思う。その後、樋浦さんとはUnicode コン
ファレンス、XML開発者の日、国際大学での講義などのさまざまのイベントで
ご一緒した。
樋浦さんは言うまでもなく、文字コードと国際化の専門家である。そして、国
際的な標準化活動をされた方である。専門家であっても国際的な活動は僅かし
かしていないという日本人が実は多いのだが、われらが樋浦さんはそんな内弁
慶とは無縁だった。
アメリカ生活が長い樋浦さんが英語が達者なのは当然だけれど、国際的な標準
化活動はそれだけで出来るものではない。標準化手続き及び技術についての理
解があってもまだ十分とは言えない。ここから先は説明が難しいのだが、標準
化という戦場において、単なる正義感・義務感で愚直に動くのではなく、自ら
の悪を自覚しながら効果的に弾を撃ち、表面的なルールではない暗黙のルール
からは外れないように行動し、さいごには世界中からの信頼を勝ち得なくては
いけない。樋浦さんはそれが出来る人だった。
樋浦さんが、われわれの前にふたたび元気な姿を見せてくれることは残念ながらな
い。あの飄々としていて爽やかな人柄に触れることも、広い視野にもとづく発
言を聞くこともできない。
われわれは樋浦さんが残した仕事の恩恵を今後も受け続ける。私はいまEPUBに
首をつっこみ始めたところなのだが、ここでも樋浦さんの書いたUnicode
Technical Standard #37と出くわすことになった。こうした仕事の重要性が消
えない限り、忘却の彼方に樋浦さんが消えていくことはない。しかし、
一緒に飲み歩きながら楽しく悪だくみをしたSC34済州島会議のような時間はも
う戻ってこない。それがとても悔しい。
投稿者: 村田 真 日時: 2010.05.12 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)